生命(いのち)の言葉|令和6年12月
廣池 千九郎
自ら苦労して
これを人に頒つ
解説
自ら苦労して得られた成果を人に分け与えることは幸せにつながる
廣池 千九郎(ひろいけ ちくろう)
大分県中津市生まれ。教育者、歴史家法律学者。世界の中で日本の皇室がなぜ連綿と続いているのか、この問いを探求した結果、「(皇室の)質の高い道徳の実行にある」と結論を見出し道徳こそが人類の安心・平和・幸福の基礎であると考え、大正十五年に『道徳科学の論文』を完成させ、モラロジーを広く世に提唱した。
神道知識への誘(いざな)ひ
竈神様(かまどがみさま)
煮物、焼き物、炒め物。日々の食事の支度に必ず必要なものは「火」です。この台所で使う火を護る神が竈神です。現代ではあまり見かけない竈ですが、以前は家庭のシンボルとしての意味合いもありました。「竈を分ける」といえば世帯を別にする、「竈賑わう」といえば生活が豊かになるなどの言葉がそれを現しています。
神道では、奥津日古神(おくつひこのかみ)・奥津比賣命(おくつひめのみこと)・火産霊(ほむすび)が竈神とされておりますが、後の世になると祀られ方にも変化が見られ、仏教を由来とする三寳荒神(さんぽうこうじん)(仏・法・僧を表す三寳を護る荒神)も祀られるようになりました。これは、不浄を嫌う三寳が清浄である竈に祀られるようになったとの説もあるようです。
竈神の祀り方には、地方や各家でそれぞれの祀り方があります。囲炉裏の時代は直上の屋根裏に祀ることが多かったようですが、現代では主に台所の一角に棚を設けて御神札や幣束(へいそく)を祀ることが多いようです。ですが、祀り方には正誤はありません。火という、有り難く、且つ恐ろしいものに畏敬の念を表わすことは、人として自然なことと思います。